林龍之介(はやし りゅうのすけ、1988年4月14日 - )兄。
擔(dān)當(dāng):作詞、作曲、編曲、ギター、ハーモニカ、ベース、コーラス。愛稱:お兄ちゃん、イノ。平川地一丁目解散後はソロ活動(dòng)の予定とブログで公表してはいるが、ラストライブのMCで、音楽はなんらかの形で続けていきたいが現(xiàn)在のところ何も考えていないと語っている。
林直次郎(はやし なおじろう、1990年12月23日 - )弟。
擔(dān)當(dāng):作詞、作曲、ボーカル、ギター、ドラム。愛稱:なおじ、マーボー。俳優(yōu)としても活動(dòng)をした。映畫『グーグーだって貓である』を最後に蕓能活動(dòng)から引退。進(jìn)學(xué)を視野に學(xué)業(yè)に専念する。
小簡(jiǎn)介
平川地一丁目(ひらかわちいっちょうめ)は、林龍之介と林直次郎の兄弟による、音楽デュオ。シンガーソングライター。新潟県佐渡市在住。2008年8月をもって解散した。
デュオ名は、かつて彼らが在住していた場(chǎng)所の地名、靜岡県清水市平川地(現(xiàn)靜岡市清水區(qū)平川地)に由來する。ただし、実際の「清水市平川地(現(xiàn)清水區(qū)平川地)」は「ひらかわじ」と読み、一丁目は過去・現(xiàn)在を問わず存在したことがない。
大事件
2000年 夏ごろから龍之介が父の影響でギターを始め、家にあったチューリップや吉田拓郎などのレコードをコピーする。同年暮れの地元イベントに出場(chǎng)するため直次郎を誘ったのが結(jié)成のきっかけ。その後、様々な地元のイベントで聲が掛かり話題を集めるようになる。
2001年 秋にソニーミュージックのSDに送ったビデオにより見出されて、同年暮れから翌年春にかけて開催された「Sony Music Audition」にて「DefSTAR RECORDS賞」を獲得。ソニーミュージックの大塚文乃が設(shè)立した(株)ダブルスターに所屬する。
2003年3月5日 同事務(wù)所第一號(hào)アーティストとしてダブルスターレーベルで『七つのひらがな』をリリース(ちなみにダブルスターレーベルとしては、その後2003年3月26日に二番手としてナチュラル ハイがリリースしている)。
2003年11月6日 ソニー・ミュージックエンタテインメント內(nèi)のレーベルカンパニーであるデフスターレコーズから斉藤和義プロデュースのシングル「とうきょう」でメジャーデビュー。
2003年11月29日 NHKの『ポップジャム』ブレイクレーダーにて番組最高得點(diǎn)(97.5%)を獲得。
2004年4月 JFN系列レギュラーラジオ番組『平川地一丁目のギター便り』放送開始。
2004年7月 初アルバム『えんぴつで作る歌』がオリコン初登場(chǎng)7位となり、男性アーティストTOP10入り史上最年少記録を達(dá)成。
2004年12月 初の完全セルフプロデュース作品『きっとサンタが』(企畫限定版)リリース。
2005年10月〜11月 NHK『みんなのうた』「夢(mèng)見るジャンプ~みんなのうたver.~」放送。
2006年3月 初の両A面シングル「夢(mèng)の途中/校庭に見つけた春」よりプロデューサーに笹路正徳を迎え、フォークロックギターデュオ(FRGD)をトレードマークに新たなサウンド・アプローチをスタートさせた。
2006年5月26日 TVドラマ『てるてるあした』第7話にゲストとしてドラマ初出演。
2006年10月 ラジオ番組『平川地一丁目のギター便り』が『平川地一丁目FOLK ROCK GUITAR RADIO』にタイトル変更。
2006年11月 デビュー3周年記念「平川地スーパースーパーライブ」、東京・大阪の2公演。
2006年11月4日 Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2006に出演し、ビートルズの「ドント・レット・ミー・ダウン」と「アクロス・ザ・ユニバース」の2曲を歌う。
2007年9月 JFN系列レギュラーラジオ番組『平川地一丁目FOLK ROCK GUITAR RADIO』放送終了。
2008年5月13日〜5月18日 博品館劇場(chǎng)にて舞臺(tái)『あの頃のまま』(演出・腳本:小池竹見)に兄弟で出演。
2008年5月19日 解散を発表。翌20日公式ページにコメント掲載。
2008年8月23日 全國ツアー『ファイナルツアー〜平川地一丁目を駆け抜ける夏』の最終公演を東京・恵比壽リキッドルームで行い、音楽活動(dòng)に終止符を打つ。