ファンキー加藤(本名:加藤 俊介(かとう しゅんすけ)、1978年12月18日 - )MC、リーダー
モン吉(本名:塚本 達(つかもと さとる)、1979年2月17日 - )MC
DJケミカル(本名:田野倉 智文(たのくら ともふみ)、1982年5月13日 - )DJ
小簡介
FUNKY MONKEY BABYS(ファンキー・モンキー・ベイビーズ)は、日本のヒップホップグループである。メンバー全員が東京都八王子市出身。2004年結(jié)成。所屬レコード會社はドリーミュージック。
大事件
2MC&1DJのグループ。グループ名の由來は、それぞれソロ活動をしていたファンキー加藤とモン吉が最初にグループを結(jié)成したことから、「ファンキー」と「モンキー」で「FUNKY MONKEY BABYS」となった。DJケミカルは、結(jié)成當(dāng)初はライブDJとして參加していたが、後に正式メンバーとして加入。加入時、メンバーから、「ベイビー○○て名前にすれば分かりやすい」と薦められたが斷った。DJプレイをしないDJとして有名で、ライブではほとんどDJブースにいないでダンスをしている。 通稱ファンモン。また、3つの単語の頭文字から、「FMB」と略されることもある。
本來ならば「ベイビーズ」の綴りは、「BABYS」ではなく、「BABIES」だが、これは意図的なものである。 公式HPや、同グループの話題を扱う掲示板などでは、「BABYS」はファンのことを指す言葉となっており、地名の後に「BABYS」を付けると、「○○(地名)に住んでいるファン」という意味になる。(例:東京BABYS→東京に住んでいるファンのこと)
それぞれシングルのジャケットとプロモーションビデオに蕓能人を起用することで話題を呼んでいる。ヒップホップグループを自稱しながらも、ヒップホップ・ミュージックの特徴である、歌詞で韻を踏むことは少なく、曲の流れもポップス調(diào)。 ジャンルとしてはJ-POPが近い。
日本で有名になる前にフランスでライブを行っており、2000人もの観客動員を記録した。
ケツメイシがパーソナリティーを務(wù)めていた「MOTHER MUSIC RECORDS」の中のデモレンジャーで決勝戦へ進み、惜しくもナイス橋本に破れ、準(zhǔn)優(yōu)勝となった。
2008年8月7日にお臺場冒険王內(nèi)で行われためざましLIVEで過去最多の観客を動員。(2008年8月8日現(xiàn)在)
2008年9月28日に、大阪城野外音楽堂で、ワンマンライブ予定。
2010年2月 初のベストアルバム『ファンキーモンキーベイビーズBEST』が 2作連続のオリコンウィークリーランキング1 位を獲得し、19週連続TOP30にランクイン、 2010年発売上半期アルバムセールスランキング1 位に!! 85萬枚を突破し、2011年1月に発表された「第25回 日本ゴールドディスク大賞」では2010年最も売れたアルバム5枚に選ばれ 「第25回 日本ゴールドディスク大賞 ザ・ベスト5アルバム」を受賞した。
2010年8月 シングル『あとひとつ』が2010ABC 夏の高校野球応援ソングとして、世代を超えて大ヒットし、 「第43 回日本有線大賞」有線音楽優(yōu)秀賞受賞!「ベストヒット歌謡祭2010」ゴールドアーティスト賞受賞! 「輝く!日本レコード大賞」作曲賞受賞! と數(shù)多くの賞を受賞した。
2011年12月 2年10カ月振りのオリジナルアルバム「ファンキーモンキーベイビーズ4」をリリースし、 なみいる強豪を抑えアルバム3作連続のオリコンウィークリーランキング1位を獲得。 前年に続いて「輝く!日本レコード大賞」優(yōu)秀作品賞を受賞し2 年連続の出演。 「NHK 紅白歌合戦」には3年連続出演とその勢いはとどまる事を知らない。
2012年8月 5枚目のDVD、初のブルーレイディスクをリリース 8月29日には19枚目のシングルとなる「LIFE IS A PARTY」リリースした。
2012年9月 橫浜スタジアム、京セラドーム大阪でのワンマンライブで9萬5千人を集め大成功を収めると、 「第54回 輝く!日本レコード大賞」優(yōu)秀アルバム賞を受賞(『ファンキーモンキーベイビーズ4』)し3年連続出演。「NHK 紅白歌合戦」では4年連続出演。
2012年11月 20枚目のシングル「サヨナラじゃない」をリリース。 「サヨナラじゃない」は、2013年3月23日(土)全國公開、 映畫「ボクたちの交換日記」主題歌に決定している。 現(xiàn)在までに20枚のシングルと5枚のアルバム、5枚のDVD をリリース。
2013年2月27日に、2004年の結(jié)成から支えてくれた全ての人へ送る、ラストシングル「ありがとう」のリリースが決定。
2013年6月1・2日の東京ドームのラストコンサートをもって解散となる。