稲垣潤一

姓 名:稲垣潤一
英文名: DaoYuanRunYi
國 家:日本

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專輯
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評論

稲垣 潤一(いながき じゅんいち、本名同じ、1953年7月9日 -)は、宮城県仙臺市出身の歌手、ミュージシャン。血液型はO型。身長173cm。
小簡介
日本邦樂之父之一。出道25年的稻垣作為80年代的邦樂POP頂尖代表者,創(chuàng)作了無數(shù)膾炙人口的好歌。同樣是經(jīng)典之聲的主人,他比桑田佳佑和徳永英明之類在大陸的熟知度少很多。
喜歡早期J-POP的朋友相信都知道這個人,作為和小田和正同時代的音樂創(chuàng)作人稲垣潤一更加傾向J-POP和ROCK BAND的完美融合。如果說小田和正是用那絕對高亢清亮的嗓音來征服歌迷,那么稲垣潤一則是將自己內(nèi)心對各種情感事物的感性認(rèn)識轉(zhuǎn)化為音符。在說到膾炙人口,稲垣潤一的作品一點也不會遜色于小田和正.國內(nèi)中國香港和中國臺灣等的早期流行歌手一直視其為榜樣,用翻唱的形式來表現(xiàn)對他的尊敬。
上世紀(jì)80年帶的稲垣潤一以日本舊音樂時代過渡到NEW STYLE為背景,創(chuàng)作了新音樂和純邦樂完美融合的眾多作品。
進(jìn)入90年代后,稲垣潤一在制作上更是顯示他的才華。不同層度地加入演歌風(fēng)味和JAZZ系列配合日異盛行的J-ROCK使得專輯的多元化得到印證。作為在FUN HOUSE階段相當(dāng)成功的作品之一,SIGNS OF TRUST也許便是他本人對世界觀的理解吧!稻垣潤一長相一般,歌卻很是柔情,他發(fā)行的專輯超過30多張,在日本樂壇也叱詫30余載,可見歌迷對他的熱愛。和好友一起設(shè)立了“みやぎびっきの會”,在慈善事業(yè)中投入了大量的精力。
大事件
1986年頃TBSラジオの毎週土曜日23:30から『稲垣潤一BEAT&DRIVE』という、稲垣が一人でDJをする番組があった。
1991年11月19日、コンサートツアー「WILL」(in 日本武道館)が衛(wèi)星放送(WOWOW)で生放送された。
2001年、『SMAP×SMAP』でSMAPと共演。この年はメンバーの稲垣吾郎が謹(jǐn)慎中でメンバー4人での出演だったため、メンバーに名前を聞かれ、「稲垣です!」と答え、SMAPの名前だけは全て揃う事となった。
2006年には聲優(yōu)・長谷川杏里のデビューシングル「フラグメンツ・ブルー」の作曲を擔(dān)當(dāng)した。
稲垣の地元、仙臺市を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名譽會員(會員No.11)であり、2007年3月31日フルキャストスタジアム開幕戦(日本ハム戦)で國歌獨唱を行った。

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