橫山裕(よこやま ゆう、1981年5月9日 -、A型、大阪府大阪市出身)イメージカラーはブラック。
渋谷すばる(しぶたに すばる、1981年9月22日 -、O型、大阪府茨木市出身)イメージカラーはレッド。
村上信五(むらかみ しんご、1982年1月26日 -、AB型、大阪府高槻市出身)イメージカラーはパープル(なすび色)。
丸山隆平(まるやま りゅうへい、1983年11月26日 -、A型、京都府京都市出身)イメージカラーはオレンジ。
安田章大(やすだ しょうた、1984年9月11日 -、A型、兵庫県尼崎市出身)イメージカラーはブルー。
錦戸亮(にしきど りょう、1984年11月3日 -、O型、大阪府門真市出身)イメージカラーはイエロー。
大倉忠義(おおくら ただよし、1985年5月16日 -、O型、大阪府東大阪市出身)イメージカラーはグリーン。
元メンバー
內(nèi)博貴(うち ひろき、1986年9月10日 -、AB型、大阪府羽曳野市出身)イメージカラーはピンク。
小簡介
橫山以外のメンバーは演奏できる楽器がある。渋谷・安田・錦戸はギターとハーモニカ、丸山はギターとベース、大倉はギターとドラム、村上はキーボードができる。また、內(nèi)も番組の企畫で安田にギターを教わったことがある。
プライベートでも一緒に買い物や旅行に行ったり、夏のバーベキューやメンバーの誕生日會が恒例行事となっていたり、メンバー同士の絆が非常に深く、仲が良い。
事務(wù)所の社長・ジャニー喜多川に「YOU達(dá)はどんどんしゃべっていかないと!」と言われている。橫山曰く「僕達(dá)にはしゃべることしか道が殘されていません」とのこと(新堂本兄弟より)
安田曰く「基本的に放置プレイ」なメンバーは、コンサートで自由気ままなトークで暴走することも少なくはなく、社長に「自由すぎだよ!」と怒られることも時々ある。
島田紳助やダウンタウンなどといった、吉本興業(yè)の大御所蕓人を筆頭に、事務(wù)所の先輩・KinKi Kidsら多くの人に「フレッシュさがない」「フリがアイドルじゃなくて若手蕓人」などといったことをよく言われる。
グループとしては、かなり苦労している面もある。グループ結(jié)成當(dāng)初は、千人収容の松竹座で行なわれた舞臺で3階席に観客が入らなかったり、仕事が少なかった為アルバイトをして生計を立てたり、現(xiàn)在に至るまでに様々な紆余曲折があった。
メンバーが関ジャニ∞としてCDデビューすることを知ったきっかけはスポーツ新聞であり、CDデビューは本人達(dá)に全く知らされずに進(jìn)行していた。渋谷は、デビューの告知をスポーツ新聞で知った友人から『お前、デビュー決まったの?』と言われて新聞を見、そこで初めてCDデビューのことを知ったため「もの凄くビックリした」と語っている。
関西限定デビュー當(dāng)時、仕事が少なくなっていたり、錦戸が加入しているユニットNEWSなどが活躍する中で、2004年の大阪松竹座での舞臺「SUMMER STORM」を公演。その際の打ち上げで、自分達(dá)の不安や將來を焼肉屋でメンバー全員大泣きしながら語りあった結(jié)果、3日間ともに過ごす。その後、自分達(dá)のCDが本當(dāng)にレコード店で置かれているか全員一緒に確認(rèn)しに行った際には店員にも気付かれなかったというが、その3日間のおかげでメンバー全員意気投合し、現(xiàn)在の友好関係にいたる。
上記のようにフリートークがうまく、デビューしてすぐは苦労していたりなどエピソードがあるため、共演した蕓人からは「関ジャニはジャニーズだけどからみやすい」などといったことを言われている。また、本人たちも「若手蕓人の売れてない時の気持ちがわかる」などと言っている。
大事件
2002年
8月、大阪松竹座にて関西ジャニーズJr.として、現(xiàn)メンバーが中心のキャストでミュージカル『ANOTHER』を公演。
12月19日、「関ジャニ8」として、初のコンサート「関ジャニ8 Xmasパーティ2002」を大阪松竹座にて行う。松竹座でのクリスマス公演は2005年まで毎年続く。
2003年
9月、錦戸と內(nèi)がNEWSのメンバーに選ばれ、以降、並行して活動を行うようになる。當(dāng)時、期間限定ユニットを除き複數(shù)のグループからCDデビューするのは、ジャニーズ事務(wù)所初の試みであった。
2004年
8月25日、グループ名を「関ジャニ∞」に改め、関西地區(qū)限定シングル『浪花いろは節(jié)』でCDデビュー。テイチクエンタテインメントの內(nèi)部にある演歌・歌謡曲系のレーベル「テイチクレコード」からの発売となる。地域限定発売ながら、オリコン演歌チャートで初登場1位を獲得。総合チャートでは8位を記録する。
9月22日、シングル『浪花いろは節(jié)』を日本全國でも発売し、オリコンの総合チャート及び演歌チャートで1位を記録する。
2005年
7月16日、內(nèi)が不祥事を起こした事により蕓能活動の無期限謹(jǐn)慎(後にソロ活動に限り復(fù)帰する)を受け、以降7人での活動となる。
2006年
4月、NEWS・KAT-TUNとの3組合同ファンクラブ、「You&J」が発足される。
12月30日、蕓能活動を謹(jǐn)慎していた內(nèi)が研修生となる事が、公式サイト・Johnnys netおよびJohnny's Webで発表される。この際、各マスメディアから內(nèi)がNEWSおよび関ジャニ∞を脫退したと同時に報道される。
2007年
4月11日、シングル『ズッコケ男道』を発売。本作よりロック・ポップス系のレーベル「インペリアルレコード」へ移籍する。
5月3日の神奈川公演から9月30日の沖縄公演まで約5か月間をかけ、ジャニーズ事務(wù)所初となる、47都道府県すべてを回る全國ツアー(全113公演)を行い、約67萬人を動員した。また同ツアーで行われた8月5日の東京ドーム公演のダブルアンコール、トリプルアンコールに元メンバーの內(nèi)が飛び入り出演し、久しぶりに8人が揃って舞臺に上がった。
2008年
10月29日に発売されたシングル『無責(zé)任ヒーロー』がグループ初の初動30萬枚を突破する売り上げを記録した。