小檔案
福山 芳樹(shù)(ふくやま よしき、1963年9月14日 - )は、神奈川県鎌倉(cāng)市出身の男性歌手・ミュージシャン・作曲家・編曲家である。スリーナインエンタテインメント(seesonic/ジェネオンエンタテインメント)所屬。愛(ài)稱は“福山さん、福ちゃん”など。
小簡(jiǎn)介
ハスキーでワイルドなハイトーンボイスと、主にスローな曲で見(jiàn)せる繊細(xì)なクリアボイスの使い分けが特徴的である。
『HUMMING BIRD』時(shí)代からソロ活動(dòng)を通じて、ギターを抱えての弾き語(yǔ)りスタイルに慣れているため、実は楽器を持っていないとステージでは落ち著かないらしい。それゆえ『JAM Project』加入當(dāng)時(shí)のステージでは、フレディ・マーキュリーのように棒狀のパーツを取り付けて、両手で持てるようにしたマイクで歌っていた。しかし、その棒が他のメンバーと衝突するケースが多発したので長(zhǎng)らく封印されていた。
2008年「No Border」ツアー中に右鎖骨を骨折した際、空いている左手を自由に使うために吊った狀態(tài)の右手でも持てるようこのスティックが復(fù)活。
『HUMMING BIRD』解散後も、麻生祥一郎は『福山バンド』の一員として、福山をバックアップしている。
主に作詞を擔(dān)當(dāng)する福山恭子は、自身の妻である。
幼い頃から音楽に慣れ親しみ、5歳からはピアノを習(xí)い始めた。しかし、ほとんど耳コピで曲を覚えていたので、譜面を見(jiàn)て演奏が出來(lái)なかった。今でも「楽譜は苦手だ」と、語(yǔ)っている。
主題歌を擔(dān)當(dāng)した『武裝錬金』のストーリーは、ポリシーが自分と似ているため、とても気に入っている。
ロック精神が強(qiáng)く、現(xiàn)代社會(huì)への怒りと悲しみ反抗を込めた曲も存在する。
あまり攜帯電話にこだわらない性格で、影山ヒロノブ曰く「ワンセグでもないのにアンテナが付いてる」とのこと。
2008年のCD・DVD同時(shí)購(gòu)入応募特典だった「JAM Project攻略本」には、身長(zhǎng)・體重・スリーサイズが有名ネコ型ロボットと同じであると掲載(もちろん冗談)。
ニコニコ動(dòng)畫(huà)のヘビーユーザーであり、同動(dòng)畫(huà)內(nèi)での自身の曲「真赤な誓い」の熱狂的な歌詞弾幕についても認(rèn)識(shí)している。
遠(yuǎn)藤正明のロングトーンが「スーパー遠(yuǎn)藤タイム」と呼ばれている事を、JAM Projectメンバー內(nèi)でも早々に把握していた。
音楽評(píng)論家の湯川れい子から、和製ジョン・レノンと評(píng)価を受けたアーティストである。
JAM Projectのライブツアー、JAPAN FLIGHT 2008 ~No Border~東京NHKホール公演のアンコール時(shí)、飛び出した際に転び鎖骨を折ったが、そのままアンコールの「SKILL」を歌いきった。
実は本人はギタリスト志望でステージでは上手にいるのが一番落ち著くとのこと。
『ACOUSTIC FIRE!!』収録の頃、「本格的にアコギを始めるならイイモノを買(mǎi)おう!」とマーティン社のギターを購(gòu)入したが、スタッフに自慢しようとケースを開(kāi)けると中身は空っぽだった(重いから気づかなかったが、ケースしか買(mǎi)っていなかった)。
大事件
1988年:古屋敏之らと『HUMMING BIRD』を結(jié)成する。ボーカル・ギター・キーボードを擔(dān)當(dāng)していた。
1990年:AXIAミュージック・オーディションで、歌部門(mén)最優(yōu)秀賞を獲得する。
1991年:NECアベニューより『HUMMING BIRD』として、メジャーデビューする。
1994年:『Fire Bomber』として、テレビアニメ「マクロス7」の主役熱気バサラの吹き替えボーカルを擔(dān)當(dāng)する(ビクターエンタテインメントより)。
2000年:『HUMMING BIRD』を解散して、ソロ活動(dòng)を始める。
2002年:牛島正人と『WILD VOX』を結(jié)成する。
2003年:影山ヒロノブの誘いを受け、アニソングループ『JAM Project』に參加する。
2007年:神奈延年と『福神』を結(jié)成する。