小檔案
TOSHI-LOW (ボーカル)
本名:宮田俊郎
茨城県水戸市出身。1974年11月9日生まれ。B型。
KOHKI (ギター)
本名:堀幸起
和歌山県出身。1975年7月13日生まれ。O型。
MAKOTO (ベース)
本名:小沢誠
長野県松本市出身。1974年4月10日生まれ。O型。
RONZI (ドラムス)
本名:小林諭史
長野県松本市出身。1974年7月4日生まれ。A型。
mark muffin のドラマーとしても活動(dòng)中
小簡介
都內(nèi)を中心に活動(dòng)を行い、これまでに2枚のミニアルバム、3枚のシングル、4枚のアルバムを発表、國內(nèi)外を問わず精力的にライブ活動(dòng)を行っている。音楽性に関しては、ロック、パンク、ハードコアといったジャンル分けが困難であると評(píng)されることが多く、ハードコアや民族音楽を基盤とした獨(dú)自の音楽性を確立している。
大事件
TOSHI-LOWとDAISUKEが當(dāng)時(shí)所屬していたバンド「killed by myself」と、RONZIとMAKOTOが屬していたバンドがそれぞれ同時(shí)期に解散した後、音楽の方向性について意気投合したメンバーにより1995年に東京で結(jié)成された。結(jié)成時(shí)のメンバーにMAKOTOは含まれておらず、TOSHI-LOWと同じ大學(xué)に在籍していた別のベース擔(dān)當(dāng)が屬していた。なお、バンド名のBRAHMANはこのベース擔(dān)當(dāng)により名付けられた。東洋的なコンセプトのもと挙がったバンド名候補(bǔ)の一つに「ARTMAN」もあったが、京王アートマン(巨大雑貨店)の存在もあり「BRAHMAN」となった[要出典]。ベース脫退後、RONZIと同郷であるMAKOTOが加入した。
1996年、ミニアルバム「Grope Our Way」でCDデビュー。その後ギター擔(dān)當(dāng)のDAISUKEが脫退。
1997年、ミニアルバム「Wait And Wait」発売。レコ発が完売となった。この時(shí)、TOSHI-LOWがギター&ボーカルをつとめていた。TOSHI-LOWがギターを持ち歌う姿はDVD/VIDEO「CRAVING」の一部楽曲において確認(rèn)することができる。この後、ギターのKOHKIが加入し、現(xiàn)メンバーの4人となった。
1998年、アルバム「A MAN OF THE WORLD」発売。累積売上60萬枚以上。収録曲の1/3ほどは初期からの曲。(発売から半年近くもの間オリコンインディーズチャートで1位)
1999年、TOY'S FACTORYと契約を交わし、シングル「deep/arrival time」にてメジャーデビュー。オリコン初登場6位、累積売上20萬枚以上。自分たちの手で売るのがきつくなり、いいものを作ることだけに集中したかったことがメジャー移行の理由の一つ[要出典]。レコード発売に伴う大規(guī)模なツアーに加え、TIBETAN FREEDOM CONCERT、FUJI ROCK FESTIVAL '99に出演。
2000年、AiR JAM 2000に出演。ライブVIDEO「CRAVING」をリリース(のちにDVDでもリリース)。
2001年、2ndアルバム「A FORLORN HOPE」発売。オリコン初登場2位。累積売上50萬枚以上。FUJI ROCK FESTIVAL '01に出演。アルバム発売に伴い、50公演以上に及ぶ大規(guī)模なツアーを行った。
2002年、前年に引き続き國內(nèi)ツアーを継続。海外においてもイタリアおよび中國臺(tái)灣においてツアーを行った。また、FUJI ROCK FESTIVAL '02に出演。
2003年4月、TOSHI-LOWが女優(yōu)りょうと結(jié)婚!-Hands and Feet-」と題された國內(nèi)ツアーを敢行(同名のツアーは2006年、2007年にも行われる)。中國北京で開催された「MIDI 2003 Modern Music Festival」において、ライブ中に観衆(zhòng)から罵聲を浴び、石や生卵、ペットボトルなどが投げ込まれメンバー全員が軽い擦り傷を負(fù)った事実が一部メディアにより報(bào)道された。これらの観衆(zhòng)の行為は、BRAHMANのパフォーマンスに対するものではなく、広東省での日本人による「集団買春」事件が明るみに出た直後の、反日機(jī)運(yùn)の高まりによるものであったとされる[要出典]。このときのライブ映像は一部、後述のライブDVD「THEORIA」に収録されており、観衆(zhòng)の投げた生卵がTOSHI-LOWに直撃する様子などが確認(rèn)できる。
2004年、3rdアルバム「THE MIDDLE WAY」発売。オリコン初登場3位。リリースに伴い國內(nèi)50公演以上のツアー「THE MIDDLE THOUGHT TOUR」を行った。
2005年、2ndシングル「CAUSATION」発売。オリコン初登場10位。6月頃、バイオリニスト・ギタリストとして活動(dòng)していたMARTIN(ボーカル・ギター・バイオリン)とTOSHI-LOWがあるライブで出會(huì)った!负韦陇筏い长趣颏筏郡ぁ工萂ARTINがTOSHI-LOWにもちかけ、BRAHMANのメンバー4人にさらにMARINの友人でスタジオミュージシャンのKAKUEI(パーカッション)を加えて6人編成のOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDを結(jié)成。オムニバスアルバム「The Basement Tacks-10YEARS SOUNDTRACK OF 7STARS」「ROCK THE ULTRAMAN」に參加した後、2006年にアルバム「OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND」を発表した。
2006年、ライブDVD「THEORIA」発売。DVD RANKING 初登場4位。
2007年、4月4日3rdシングル「Handan's pillow/逆光」を発売。シングルはDVDとの2枚組であり、「LIVE DVD-Tour energeia final@ZEPP TOKYO」が同梱されている。
2008年、2月6日4thアルバム「ANTINOMY」を発売。オリコン初登場4位。初回限定版として「By-End(1.ART MAN 2.RESULT OF NEXT)※再録」が特典としてつけられた。アルバム自體は、「THE MIDDLE WAY」発売後のシングルとして発売された「CAUSATION 「FIB'S IN THE HAND」「Handan's pillow」「逆光」も収録されているが、全て再録であり、「Handan's pillow」 「FIB'S IN THE HAND」はシングルとは全く別物となっている。初の試みとしてアイヌ語詞による楽曲「Kamuy-Pirma」を収録。アルバムリリースに伴い國內(nèi)40公演以上のツアー「AUTONOMY」を行った。
2008年、11月12日3rd DVD「THE THIRD ANTINOMY」を発売。オリコン初登場1位。TOUR AUTONOMY FINAL公演、at JCB HALLの模様を完全ノンカットで収録されている。また、Disc1には半年にも及んだTOUR AUTONOMYに完全密著し、これまで明かされることのなかった、等身大のBRAHMANが映された、ドキュメンタリーDVDとなっている。
2009年、6月10日インディーズ時(shí)代のリリース作品(「Grop Our Way」「WAIT AND WAIT」「A MAN OF THE WORLD」)の楽曲を再レコーディングしたアルバム「ETERNAL RECCURENCE」をリリース予定。