松田樹(shù)利亜
MAZDA JULIA
基本情報(bào)
出生名 豊田樹(shù)里
出生 日本 大阪府 1975年2月7日
血液型 A型
學(xué)歴 日出女子學(xué)園高校卒業(yè)
出身地 日本 京都府
職業(yè) ボーカリスト
擔(dān)當(dāng)楽器 ボーカル
松田 樹(shù)利亜(まつだ じゅりあ、1975年2月7日 - )は、日本の歌手。京都府出身(大阪府生まれ)。日出女子學(xué)園高等學(xué)校卒業(yè)。同級(jí)生に河田純子、水野美紀(jì)、穴井夕子、大野幹代などがいた。
小簡(jiǎn)介
歌手になるきっかけを見(jiàn)つけるため、東京寶映テレビ(現(xiàn)・寶映テレビプロダクション)で子役として活動(dòng)。第3回東鳩オールレーズンプリンセスコンテストでプリティーアイドル賞を受賞。優(yōu)勝者新島彌生他コンテスト入賞者とアイドルグループEGG5というグループを結(jié)成。渡辺プロダクションと契約し、グループで歌手デビューの予定もあったがお蔵入りに。その後、第3回全日本國(guó)民的美少女コンテスト歌唱部門で豊田樹(shù)里として工藤靜香の「戀一夜」を歌い、音楽部門賞を取った後、アイドルユニットBABY'Sの一員としてデビューする。
BABY'S時(shí)代から非常に優(yōu)れた歌唱力を持ち、コーラスだったにもかかわらずメインボーカルを完全に上回る程の歌唱力で、後期にはほとんどメインボーカルと変わらない存在であった。
1993年ハミングバードレコード(後にワーナー・ミュージック・ジャパンのレーベルへ統(tǒng)合、WEAミュージックにレーベル変更)から「抱きしめても止まらない」(テレビ朝日系「トゥナイト」エンディング曲)で、正體不明の美少女ボーカリスト松田樹(shù)利亜として、生年月日も公表せずに再デビュー(數(shù)年後、ラジオニッポン放送特番「松田樹(shù)利亜オールナイトニッポン」にて生年月日を公表)。シングルのジャケット寫真も顔半分であった。デビューアルバム「Julia I」はオリコンのウィークリーチャートに初登場(chǎng)で2位となり、その後は様々なCMや番組タイアップ曲等で著実にヒットを続け、GiRLPOPの代表格となる。
1997年レコード會(huì)社をエイベックス系のcutting edgeへ移籍し、本人選曲のベストアルバム『1494 〜Julia's Best Selection〜』を発表。その後もシングルやアルバムを発表するが、所屬プロダクションとの確執(zhí)やレコード會(huì)社移籍問(wèn)題(移籍予定先だったゼティマにおいて名義変更を強(qiáng)要されたことから、移籍まで至らず、ベストアルバムがジュリア(松田樹(shù)利亜)名義で発売されたのみ)などがあり、公認(rèn)ファンサイトへ本人名義で蕓能界引退宣言とも取れる書(shū)き込みがあった後、しばらく蕓能界から姿を消すことになる。
2001年に所屬事務(wù)所を移籍し、ビクターエンタテインメントから発売したシングル「Starting UP」(アニメ「逮捕しちゃうぞ」オープニング曲)で再び蕓能界への復(fù)帰を果たす。ビクターからはこのシングル1枚のみで、以降は従來(lái)のポップス調(diào)スタイルからハードロック系のボーカリストとして、所屬事務(wù)所はオスカープロモーションに戻る。しかし、トライクルエンタテイメントより鈴木慎一郎プロデュースのシングル・アルバムを數(shù)枚発表した後、同社の日本の社長(zhǎng)と意見(jiàn)が合わなくなり契約解除(本人がライブで公言)、オスカープロモーションとも意見(jiàn)が合わなくなりこちらも契約解除する。當(dāng)時(shí)、雑誌「WO」で「私のファンは私の容姿ばかりみて、楽曲を真剣にきいてくれない」などとコメントし、その後、原宿でのライブでこの件について謝る必要がないと公言した。
インディーズでアルバム「LIBERAL MINDS」を発売した後、2003年秋に再びメジャーへ復(fù)帰する。セガ系列の総合會(huì)社ウェーブマスターよりシングル「僕のカケラ」を発売する。その後ウェーブマスターに籍を置き、ライブ、アルバム、DVDなど數(shù)多く作品を発表している。2009年には専屬作家の鈴木慎一郎らと「Ash Wednesday」を結(jié)成し、『BLACK STAR』をリリースした。