尾崎 亜美(おざき あみ、本名:小原美鈴、舊姓尾崎、1957年3月19日 -)は、シンガーソングライター。京都府京都市北區(qū)出身。京都市立柏野小學(xué)校、京都市立衣笠中學(xué)校卒。京都府立山城高校中退。血液型はB型。
杏里の「オリビアを聴きながら」、松田聖子の「天使のウィンク」等、他のアーティストへの楽曲提供も多い。夫はミュージシャンの小原禮。おじに映畫評(píng)論家の田山力哉がいる。
母、尾崎 暁美(おざき あけみ)は、創(chuàng)作袋物作家として有名。主に時(shí)代物の西陣織の帯を用いて袋物(ふくろもの)を制作し、各地で作品展を開いている。娘と共に2005年1月9日放送のテレビ朝日『グレートマザー物語(yǔ)』に出演した。尾崎亜美が神谷明と友人であることから、インターネットラジオ『神谷明ホットビートパーティー』に不定期に出演している。
小簡(jiǎn)介
8歳でクラシック・ピアノを習(xí)い始め、16歳頃からポップミュージックに興味を持ちアマチュアのサークルに參加。作詞作曲をするようになる。公式・処女作は「ひとりっこカバっこ」というタイトルでこれは後にNHKの子供番組に起用された。ただし、尾崎によると真の処女作は(出身校・衣笠中學(xué)校の)「衣中音頭」である。
中學(xué)では演劇部創(chuàng)部に參加。演劇部の27年後輩に芥川賞作家の綿矢りさがいる。 京都府立山城高校時(shí)代に、地元ラジオ局(近畿放送=現(xiàn)京都放送[KBS京都])の公開オーディション番組「アクションヤング大丸」に他校の男子生徒と二人組で出場(chǎng)。司會(huì)の諸口あきらや審査員の東芝EMI関係者に絶賛される。 その後一時(shí)期、やしきたかじんのバックバンドでピアノを擔(dān)當(dāng)したこともある。
シングル「冥想」で1976年に東芝EMIよりデビュー。蕓名の「亜美」はフランス語(yǔ)で友人を意味する“ami(amie)”に由來する。尾崎自身は、當(dāng)初は本名の尾崎美鈴でのデビューを望んでいたが、過去に同じ美鈴名の歌手のプロモートに失敗していた関係者に説得されたらしい。同年松任谷正隆プロデュースでアルバム『SHADY』を発表。ポスト・ユーミンの最右翼と呼ばれる。
大事件
1977年、3rdシングル「マイ・ピュア・レデ!工Y生堂のCMに起用されヒット。一躍注目を浴びる。また、3月から翌年2月までラジオ「オールナイトニッポン」金曜日第2部を擔(dān)當(dāng)している。
1978年、南沙織に「春の予感‐I've been mellow‐」(資生堂CM曲、東京音楽祭ゴールデンカナリー賞作詞賞受賞)を提供。編曲も擔(dān)當(dāng)し、同年発表の3rdアルバム『ストップモーション』からは自身でプロデュースも手がけるようになる。
1980年、レコード會(huì)社をキャニオン・レコード(現(xiàn):ポニーキャニオン)に移籍。同年移籍第一弾シングル『21世紀(jì)のシンデレラ』、アルバム『MERIDIAN MERON』を発表。
1981年、デイヴィッド・フォスターの編曲・TOTOのメンバー參加によりLAで録音された『HOT BABY』、同じくデイヴィッド・フォスターの編曲により彼が連れてきたマイケル・ランドウらの腕利きミュージシャンによる國(guó)內(nèi)録音の『Air Kiss』などこの年に2枚のアルバムを発表。
1983年、 小説「イノセント~箱~」を講談社より出版。
1985年、アルバム「10番目のミュー」で第27回日本レコード大賞優(yōu)秀アルバム賞受賞。また、「パピ」という名前で日清焼きそばU.F.O.のCM曲「Wuper Dancing」発表している。
1988年、第9回日本作曲賞『優(yōu)秀作曲者賞』受賞。
1989年、尾崎亜美としては一時(shí)休業(yè)を宣言!柑見工趣いγ挨钎伐螗哎搿柑以脆_(PEACH PARADISE)からコンニチハ」(サントリーフルーツリキュール「ミス・ピーチ」CM曲)を発表。
1990年、活動(dòng)を再開し、第一弾シングル『Endless Dream』を発表。翌年3月にシングル『Southern Cross』と活動(dòng)再開第一弾アルバム『Natural Agency』を同時(shí)リリース。また、80年代にポニキャンより発表されたオリジナルアルバムの再発売盤も同時(shí)にリリースされた。
1992年には「桃姫BAND」を結(jié)成(メンバー;鈴木茂、佐藤準(zhǔn)、松武秀樹、小原禮、今剛、富田素弘、山木秀夫)し、シングル「Heart Of Glass」(ノエビア・コスメティックルネッサンスCM曲)とカバーアルバム『初陣』発表。同年、平松愛理、崎谷健次郎と共に“HIRA-O-SAKI”というスペシャルユニットを結(jié)成し、シングル・アルバム『My Best Friends』を発表。翌年には再び桃姫BANDとして映畫「教祖誕生」主題歌の「神様お願(yuàn)い」(テンプターズのカバー)を発表している。
1997年、東芝EMIに復(fù)帰。また、元サディスティック・ミカ・バンドのベーシスト小原禮と結(jié)婚する。結(jié)婚式の時(shí)、牧師が欠席の為、元聖飢魔IIのデーモン小暮閣下が、司式をする。
1998年、第5回日本プロ音楽録音大賞『ポップ・ロック部門大賞』を「Joyful Joyful」(アルバム『SPECIAL』収録)で受賞。
2000年、鈴木茂、小原禮とユニット「The DELTA-WING」を結(jié)成。アルバム『THE DELTA-WING I』を発表。
2001年、デビュー25周年を迎え、それを記念に東芝EMI・ポニーキャニオンよりベストアルバム『Amii-versary』と、幅広い交友を示すように細(xì)野晴臣、高橋幸宏、大貫妙子、杏里、奧田民生、 福山雅治、デーモン小暮閣下等をゲストに迎え制作されたアルバム『Amii-Phonic』(フォーライフレコード)を同時(shí)リリース。
2002年、宇崎竜童率いる新竜童組のメンバーとして曽根崎心中ROCKに參加。キーボードとお初役を擔(dān)當(dāng)する。また、ファン投票により選ばれた楽曲をピアノ弾き語(yǔ)りで披露したアルバム「PIA NOIR」をBMGファンハウスより発表。
2004年、コロムビアミュージックエンタテインメントに移籍し、アルバム『おもてなし!护虬k表。
2005年には女子サッカーなでしこリーグのチームTEPCOマリーゼのオフィシャルソング「戦う翼」を発表した。
2006年、デビュー30周年を迎える。2月22日、記念アルバム『三重マル』を発表。同日、クラシックの殿堂として知られる東京文化會(huì)館の小ホールで行われた『Popular Week LIVE in 東京文化會(huì)館』に出演し、これが同會(huì)館45年目にして初のポピュラー音楽のステージとなる。また、4月から9月まで、大阪放送(ラジオ大阪)「Music Cafe いいおとな」金曜を擔(dān)當(dāng)した。
2007年、プロ並みの料理の腕前を生かし、料理本「尾崎亜美のうちごはん」を講談社より出版。8月7日、自身初のホテルでのディナーライブに出演(グランドプリンスホテル赤坂)。9月23日、秋フェス、大山ミュージックリゾートin花回廊2007に小原禮と共に出演。
2008年、北名古屋市の委囑により「北名古屋音頭」を制作、自らの歌唱による録音も行われ市役所でCDが有料頒布された。8月にはキリンビール「秋味」のCMソング(曲名不明)を発表した。
2009年、4月オフィシャルサイトオープンと同時(shí)にブログも開始。また、BS11にて夫の小原禮とともに案內(nèi)役を努める音楽番組「Musica~音のおもてなし」も開始。