倖田 來未(こうだ くみ、本名:神田 來未子(こうだ くみこ)、1982年11月13日 - )は、日本の女性歌手。京都府出身。エイベックス・rhythm zone所屬。身長154cm。
歌手のmisono(day after tomorrowの元ボーカル)は実妹である。
大事件
2000年 デビュー
DREAMS COME TRUEのライブビデオを観、歌手に憧れ蕓能界入りを志す。1999年、京都精華女子高等學校在學中にテレビ東京で放送していたオーディション番組『ASAYAN』內「モーニング娘。追加メンバーオーディション」において2次審査を通過したが、先行して行われていたエイベックス(エイベックスエンタテインメント)主催のオーディション「avex dream 2000」にて準グランプリを受賞。これにより同社でレッスンやトレーニングを無償受講できる権利、同社との専屬契約権を獲得した。
2000年12月6日、エイベックスのrhythm zoneレーベルよりデビュー決定。先にアメリカで「KODA」名義でデビューし、1枚目のシングル『TAKE BACK』は全米で先駆けて発売。全米ビルボードダンスポップセールスチャートで初登場20位、最高18位を記録。更に2枚目のシングル『Trust Your Love』がビルボード総合セールスチャート初登場39位、最高19位を記録、日本人のチャートインとしては7人目で、またダンスポップセールスチャートでは初登場1位を獲得した。
2000年-2002年 下積み・ヒットの出ない時代
華々しく「凱旋デビュー」を飾る予定だったが、その目論見は外れ、オリコンチャートでは『TAKE BACK』が初登場59位、『Trust Your Love』が初登場18位でスマッシュヒットという結果に終わった。さらに続く3枚目のシングル『COLOR OF SOUL』、4枚目のシングル『So Into You』でも、高い歌唱力と定評のあるダンス力で著実にファンを増やすものの、ヒットとはならなかった。當時は音楽番組に出演しない路線をとり、専らクラブなどで歌っていた。彼女はその時を振り返り「辛かったけど夜中3時ごろに歌ったりして、聲帯が強くなったり度胸が據わったりした。下積み時代に感謝している」と語っている。
2003年-2004年 ヒットによる浮き沈み
そんな彼女に転機が訪れた。2003年にスクウェア(現:スクウェア・エニックス)から発売されたプレイステーション2用ゲームソフト『ファイナルファンタジーX-2』のテーマ曲で7枚目のシングル『real Emotion/1000の言葉』がオリコンチャート初登場3位で累計23萬枚のヒットとなり知名が急上昇。しかしその後の8枚目のシングル『COME WITH ME』や9枚目のシングル『Gentle Words』はセールスには余り恵まれなかった。元來太りやすい體質であったが、當時の彼氏の勵ましもあり8kgのダイエットに成功したのはこの頃で、現在の「エロかっこいい」とマスコミから呼ばれる彼女のスタイルが確立されたのは、10枚目のシングル『Crazy 4 U』の頃。この頃から、クリスティーナ・アギレラなどの海外アーティストから大きな影響を受けるようになり、露出度の高い服裝やPVなどがマスメディアによって大きく話題にされた。
そして2004年、本人も友情出演した映畫『キューティーハニー』の主題歌「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル『LOVE & HONEY』が久々のオリコンチャート初登場4位を記録。13枚目のシングル『奇跡』もトップ10入りを果たし、徐々にマスメディアで大きく取り扱われるようになっていった。
2004年-2005年 BEST~first things~の発売、エイベックスの稼ぎ頭へ
2004年の末頃から人気音楽番組に出演するようになり、4枚目のアルバム『secret』がオリコンチャート初登場3位、累計50萬枚のヒットとなった。ライブやPVではバストや美腳を意識した露出度が高い服裝や、バニーガール、女教師などのコスプレを披露し、その獨自のスタイルが「エロかっこいい」「エロかわいい」「エロカッコかわいい」と形容される。
2005年になって16枚目のシングル『Butterfly』が初登場2位と自己最高記録を更新。その勢いに乗り5年間の集大成となるベストアルバム『BEST~first things~』を発売。総合的に人を楽しませるエンターテイナーを目指しており、ベストアルバムの発売時に「ベストアルバムがミリオンセラーとなったら、クラブのママをやります」と宣言した。ベストアルバムはミリオンセラーを記録、1日限定で銀座に「club 倖田」を開店。セールスは更に伸び続け累計は187萬枚を記録した。この頃から、浜崎あゆみと肩を並べるエイベックスの稼ぎ頭となる。
2005年-2006年 12週連続リリース、BEST~second session~の発売
そんな中、彼女が取り組んだのが、同年12月7日から2006年2月22日まで、原則として毎週水曜日ごとに12週連続で新作シングルをリリースする世界初の試み"12週連続シングルリリース"である。第1弾シングル『you』は、自身初のオリコンチャート初登場1位を記録。続く『Birthday Eve』『D.D.D. feat. SOULHEAD』(いずれも5萬枚限定生産)も好セールスを記録した。
同年12月31日、「Butterfly」で第47回日本レコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場。しかしレコード大賞受賞には、レコード大賞が掲げる「大衆(zhòng)に影響を與えた楽曲」という條件を満たしていないのではないか(「Butterfly」は最高2位・年間85位)という指摘があり、彼女自身もレコード大賞終了後に「今年は露出で注目されたけど、來年はもっと音楽で注目されたい」と発言している。
2006年も年明け早々オリコンチャートで3楽曲同時トップ10入りという2003年のB'z以來、そして女性アーティストでは初の快挙を成し遂げた。同年3月8日に12週連続発売シングルを全て収録した(「Boys♥Girls」、「Sweet Kiss」は未収録)ベストアルバム『BEST~second session~』を発売する。
2006年-2007年 Black Cherryの発売、歌手以外での活動
その後も「戀のつぼみ」『4 hot wave』などのリリースや初の寫真集『MAROC』の発売、そして12月には5枚目のオリジナルアルバム『Black Cherry』を発売。150萬枚を初回出荷したこの作品は、オリコンチャート4週連続1位を獲得。これは、2006年発売の女性アーティストのオリジナル盤としては最高記録となった。
同年12月16日には第39回日本有線大賞、12月30日には、日本レコード大賞最優(yōu)秀歌唱賞を受賞。2005年は衣裝などで注目されたが2006年は「歌唱」の分野での受賞なため、彼女は受賞時にその旨を語り、涙して喜んだ。
2007年には自身プロデュースによる7柄20色の振り袖「倖田來未Kimono Collection」を発表、政府広報「ストップ!いじめ」にチャリティー・パーソナリティとして參加、パチンコ「KODA KUMI FEVER LIVE IN HALL」を発表し話題となった等、歌手以外の活動にも多く進出した年となった。歌手活動では『BUT/愛証』でスタートを切り、「KODA KUMI LIVE TOUR 2007〜Black Cherry〜」の最終公演では彼女の念願であった東京ドーム公演を開催し、大成功を収めた!笎郅韦Δ俊工扦系21回日本ゴールドディスク大賞 邦楽部門アーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞、ベストヒット歌謡祭・ポップスグランプリ、レコード大賞3年連続金賞受賞を果たした。2007年を振り返り彼女は、「今年は音楽以外の活動もやらせていただいたけど、來年はさらに音楽に集中していきたい」と語った。